第十四話 / 幕間


「阿部ちゃん阿部ちゃん、俺、さっき面白いもんめっけちゃったんだけど」

 息抜きのつもりで来た夏祭りで、どうしてこの男と遭遇するのか。まったく自分の不運っぷりが信じられなかった。
 そんな俺の表情なんて気にもとめず、加賀谷は嬉しそうな顔でまくしたてる。

「何見たと思う?」
「……さあ」
「それがなんとさ、たっきーなわけ。それだけならまだ分かるんだけどさ、浴衣の女の子連れてたんだって!」

 それを聞いて、ようやく俺は加賀谷の顔をマトモに見た。
 滝本と、女。なるほど、加賀谷が騒ぐのも少しは頷けた。滝本とは短くない付き合いになりつつあるが、そういったイメージとはほとんど無縁の奴だと思っていたから。

「滝本は予備校じゃないっけか?」
「さあ? 帰りに寄ったってトコじゃねーの? なんかコンビニの袋とか持ってたし」

 俺は加賀谷の気持ち悪いぐらいの観察眼に思わず敬意を表したくなった。というのはだいぶ嘘だ。

「しかも相手の子、俺らも知ってる奴なんだよね、これが」
「へぇ。ってことはクラスメイトか?」
「そーそー。阿部ちゃん、誰だと思う?」
「……さあ? 浅倉さんとか?」

 少し前に、話しているのを見かけた。元々滝本は、女子と話をすること自体少なくて、なにも印象に残っていなかった。だから、滝本と隣の席に居る浅倉の名前を出してみた。
 ――ほんとは嫌な可能性を否定してほしかっただけかもしれないけど。
 俺の答えを聞いた加賀谷は嬉しそうに「外れー」と言った。まるで歌うように。

「西沢さん。ほら、一番前の席の」

 西沢? と聞きかけて思い出した。
 そういえば、席替えをして以来、一番前の席に居るので、妙に先生に当てられる女子が居たっけか。
 けれど、西沢さんとやらのことを俺はよく知らなかった。ごくごく普通の女子だった気がする。ますます滝本との接点が思い浮かばない。

「おまえの見間違いじゃねーの?」

 っていうか、一緒に居たとしても偶然だろうし。滝本はあんまりそういうことを話さない。
 加賀谷は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「違げーって。俺ばっちり見たっての。確かに髪上げてたし浴衣だったし、一瞬誰?って思ったけどさ、俺、前の席ん時、西沢さんの隣だったからさすがに覚えてるっての」
「あー、分かったって。じゃあ滝本が西沢さんと歩いてたからって、お前はどうしたいんだよ」
「は? どうするってこともないけど。っていうか阿部ちゃんは気になんねーの、あの二人」

 滝本と、西沢さん。
 やはり頭の中で上手くものごとが繋がらない。もしも二人が付き合っていたとしても、「へぇ、おめでとう」程度のリアクションしかできないと思う。
 そんな考えが表情に滲んでいたらしく、加賀谷はやはり不満そうな顔をしていた。

「ちぇ、やっぱ阿部ちゃんは阿部ちゃんだよな。つまんねーの」

「――それよりさ、何でおまえ、一人なの?」

 居心地の悪さに会話を切り替える。そういえば、なんでこの男が一人で夏祭りに参加しているのかさっぱり理由が分からなかった。加賀谷のことだ、女の一人や二人、簡単に誘うことだって出来たはずなのに。
 不本意ながら、加賀谷が状況的に「独り」であることをとことん嫌う男だということは、よく知っていた。
 加賀谷は質問の意味を一秒くらい考える間をとって、それからにまぁとだらしのない笑顔を浮かべた。

「待機中。ほんとは30分前に待ち合わせてたんだけどね、あっちの都合で遅れるんだってさ。もう俺は現場に来ちゃってるし、今更帰ったら往復だけで待ち時間オーバーするしね。だからぶらぶらしてたらたっきーの貴重シーン目撃するし、阿部ちゃんと遭遇するし」
「いつ待ち合わせなんだよ」

 そう言うと、加賀谷はジーパンの後ろポケットから携帯を取り出して時刻を確認し、「あ、もうすぐだし」と呟くように言った。
 またこの男がひっかけた女というのを少し見てみたい気もしたけれど、関わり合うのはなんとなく嫌だった。加賀谷の人間関係に巻き込まれていい思いをしたことなんて一度もない。その経験が警告するのだから仕方のないことだった。

「じゃあ俺、そろそろ帰るわ。特に用事ねーし、息抜きで来ただけだし」

 家が近所だから、とか、そんな言い訳をしそうになったが、やっぱりやめた。加賀谷に弁明する意味なんて、何一つない気がしたから。
 けれどコイツは俺の腕を掴んでまあまあと引き止めた挙句、

「たぶん、俺の相手見たら阿部ちゃんびっくりするからさ」

 と悪戯っ子の笑顔で俺を引っ張った。
 抵抗をしようとして、やめた。きっとコイツには何を言っても無駄だ。
 そうやってされるがままに連れて行かれていると、人ごみの中で「加賀谷」と奴を呼ぶ女の声が聞こえた。加賀谷なんて苗字そうそうない。しかし聞き違いというおそれもある。でも、当の本人は気づいていないみたいで、さっさと前に進んでいった。俺の耳が節穴でなければ、その声は後ろから聞こえたはずだった。
 俺は引っ張られている腕に無理やり力をこめて、加賀谷を立ち止まらせた。加賀谷はびっくりした表情でこちらを振りかえった。

「どったの、阿部ちゃん」
「さっきさ、後ろから加賀谷を呼んでる声が聞こえた気ぃしたんだけど」
「マジで?」

 雑踏の中、耳を澄ませる。少ししてから、再び女の声で「加賀谷!」と聞こえた。
 俺らはほとんど同時にその声の主を見つけた。でも驚いたのは俺だけだった。

「よかった、さっきから呼んでるのに気づかないし」
「あー、ごめんな。ここうるさいし、阿部ちゃんと喋ってたし」

 嘘つきめ。俺らは全然喋ってなかったのに。

「あ、あなたが阿部先輩ですか? はじめまして、都築めぐみです」

 にこりと小首を傾げて挨拶をした女のことを、確かに自分は知っていた。だからこそ驚いていた。
 加賀谷が自慢げに笑う。キャミソールを着た剥き出しの都築の肩を引き寄せて。

「俺のひと夏のアバンチュール」
「そーゆーことです。阿部先輩のことはちょっとだけ知ってます。よろしくお願いしますね」

 都築はそう言って手を差し伸べた。爪先が淡く桃色に光っていた。
 握った手があまりにも「女の子」だったので、少し戸惑う。彼女に関する色々な噂を思い出した。
 男をとっかえひっかえする女、似たような男。「いいな」と形だけでも羨ましがってみせるのがいいのか、からかってみせるのがいいのか、俺にはよく分からない。お互いが「ひと夏の思い出」と決めている恋愛に、何か意味があるのかどうかも分からなかった。
 ――否、恋愛ですらないだろう。きっと。

「こっちこそ、よろしく。面倒だろうけど加賀谷の奴、相手してやってくれよな」

 にこりと都築は笑う。薄暗いのにざわめいている喧騒の中で、たぶんグロスか何かを塗っているのだろう、唇がてらてらと光っていた。笑うことで口角が上がって、引っ張られた唇がますます目立つ。
 そういえば、鳴海の奴が都築のことを何か言っていたっけ。よく思い出せないけれど。

「阿部ちゃんも彼女作れよ。楽しいぞー」
「そうそう、阿部先輩、私の周りでも人気ありますよ」
「……いや、今はあんまり興味ないし」

 いつまでも清廉ってわけじゃないけどさ、お前らみたいな捨てるための恋愛なんて御免だし。とはもちろん口にしなかった。

「っつーか、俺のことはいいから早く遊んでこいよ。そろそろ俺帰るし」
「は? だって阿部ちゃん、なんも買ってねーじゃん」
「別に、俺はぶらぶらするだけで充分なんだよ。おまえはいいかもしんねーけど、都築は居心地悪いだろ」

 視線をやれば、なんともいえない複雑な色味を帯びて、都築がへらりと作り笑いをした。
 この女の笑顔はあまり好きではない、と思った。

 それからすぐに加賀谷と都築と別れて、小腹がすいたことを思い出してたこ焼きを1パック買った。透明なパック越しに充分な熱が伝わってきて、帰るまでに冷ましてしまうのがもったいなくて。
 そういやすぐ近くに公園があったっけ。あそこのベンチ、さすがに今日は埋まってんのなぁとか思いながらぶらぶらと人ごみをすり抜けた。

「阿部!」

 そしたら聞き覚えのある声に呼び止められて。

「あ、ほんとに阿部だ。やっほ、偶然だね」

 振り向いたら中居と浅倉が居た。なんなんだよお前らタイムリーすぎんだよ。と思ったけれど、ほんの少し表情が歪んだ(と思われる)だけだった。
 揃いも揃って浴衣姿。そりゃちょっとは可愛いとか思わないわけでもなかったが、加賀谷じゃあるまいし「可愛いな」なんて賞賛の言葉はとてもじゃないが口から出せそうになかった。

「阿部ってば一人? 誰かと来てないの?」
「別に、息抜きだし」
「彼女いないし?」
「ばーか、男と来てからそういうことは言えよ」

 からかうように言って中居は笑った。その斜め後ろで、浅倉が控えめに笑みをこぼす。
 相変わらず、浅倉は前に出てこないんだなぁと思うと残念な気持ちにもなった。どうしてこそこそと他の女子の影に隠れる必要性があるのかよく分からない。
 小さくて、気づいたらどっかに紛れてる。でも、しょっちゅう視線を落としている文庫本をちらりと見たら、著者が西村京太郎で、しかも毎回タイトルが違うことに「マジか!」といった類の感動を覚えた。そんな本を読むタイプには見えなかったから。
 俺の視線に気づいたのか、浅倉は少し居心地悪そうに微笑んで、更に中居の影に隠れた。

「あ、こら、ゆーちゃんのこと脅かさないの」
「誰が脅かしたんだよ」
「あんたテニスやってる時以外は怖いんだから、かよわい女の子2秒以上見たら駄目なんだって」
「なんだそれ」

 そうやって俺らが笑い合うと、浅倉も笑った。少しほっとした。

「なあ、さっき西沢が来てるって聞いたんだけど、お前ら一緒に回んないの? それから上村とかさ。仲いいだろ?」

 中居の表情が一瞬だけ翳ったのを見逃さなかった。

「残念ながらさくらには男ができたでしょ、藍はお兄ちゃんが実家に帰ってきてるから一緒に回るんだってさ。だから私らふたりぼっちなの」

 ね? と甘く確認する。
 俺はただ「ふぅん」と声を漏らすことしかできなかった。

「でも、もしかしたら二人ともどっかで会えるかもね。さくらは来てるかどうか分かんないけど」

 友情よりも男をとったから? 女の関係性ってのはいつだって謎だ。

「まあ、会えたら会えたときのことだろ。サボってないで真面目に勉強しろよ受験生」
「息抜き、でしょ? 別にいいじゃない」
「そりゃそうだ」

 何をしようと自由。地獄はまだ半年もあるんだ、長い目で闘ってゆかなくては。

「じゃあ楽しめよ、また9月にな」
「そうだね、ばいばい阿部」

 それからお互いに歩みを進めかけたところで小さく意を決して、

「じゃあな、浅倉」

 そう声をかけたら浅倉は微笑んで「またね」と言った。


2006/09/24
飴村